世界のスタンダードは9月。
僕たちの粋なご先祖様達はきっと新しい門出を 桜 と一緒に味わいたかったのではないだろうか。だから新年度は4月にしたんだと思う。ご先祖様に感謝である。
1週間ほどしか咲かない 桜 の 儚さ 。。。その魅力は絶大だ。
保育園に一緒に登園していた父にとって、その終わりは、嬉しいというよりも寂しいのほうが大きいだろう。毎日、毎日のわずか20分ほどの道のり、晴れの日も雨の日も、雪の日も、、、
あんなに小さく、初めは抱っこで通っていた数年前、、20分とはいえ腕がパンパンになったものだ。それが最後のほうは自分よりも先に歩き、信号もきっちり止まれる。道すがらの虫、花、を発見しては父に知らせに来る。毎日、父と子だけの特別な空間、時間がそこにはあった。その時間は今となってはかけがえのない思い出だ。
桜が咲き誇り、いよいよ小学校の入学式。
子供一人で入学式に望めるか不安はあるが、それは杞憂。毅然と列をなす子供の姿を見て、成長を見て取れることだろう。
幼稚園や小学校に入れば、子供は規則正しい生活サイクルに入り、夜はすんなり寝るようになる。そうすると仕事が忙しく、帰るのが遅いあなたは平日に子供たちの起きている顔にはほとんど会えなかったりする。
だからこそ、土日は思いっきり遊びを教えなくてはいけないのだ。自分たちが子供のころ遊んでいたように子供たちと本気で遊んでほしい。いつの日か自分もそうだったように、いつかは友達と遊ぶほうが楽しくなるのだから。。。そうなった時の子供の成長をどのように見れるのか楽しみでもある。
だけど最近こうも思う。
もしかしたら、今の子供たちの遊びよりも父の子供時代の遊びのほうが面白いかもしれない。だからいい年になっても子の友人に混じってまだ共に遊びを教える父の姿もあるかもしれない。それはそれで面白そう。そんなイメージを膨らましつつ、、、桜の木の下でボールを蹴ろう。
Domingo と共に。